寝起きの意識朦朧且つ覚醒時間

オムツ替えをしてもらっている方をよこにしながら
匂いの中で考える。この匂いを嫌だとかいう次元でとらえないように。
本当に人間が弱った時
弱いひとにも差し伸べられる手がある
それに従事するひとがこの世にはいる
いまだ世界はそれをキープできている

僕もなにか役に立ちたい
この4人部屋のなかでも
なにかほかの患者さんの役に立ちたい
買ってくるもの
洗濯
食事関係くらいは。。

本当に困った最後にもなお差し伸べられる手は
不可侵でなくてはならない。
人類の尊厳みたいな。
それにかかわり、各々のプライドを表現してる医療従事者。

人は皆弱って死ぬ
生と死・人類の最大のテーマに従事する人

もし映画で
ここがどこか辺境の閉ざされた山の中の診療所で
僕は寛解しても尚ここに居続ける
時には自分が悪化してないか調べてもらいながら
看護師さんたちに教えられながら
掃除を学び
配膳をし、
初のオムツ替えを経験するエピソードがあり
力仕事をこなし
看護師さんたちの健康管理や
サポートのプロフェッショナルとなり
いずれは
オペにも立ち会うだろう。。w

 

広告の仕事で
それと同じくらい尊厳をもてるとしたら
クライアントとのコミュニケーションのみだ(とおもう)
ある意味営業職のみが意味がある(見えるお客さんの役に立つそれだけがリアルかもしれない)
大衆(それを想定する権利と、そしてどう交信してるのかは甚だ疑問)
僕が作るものを通して特定の少ない誰かとならあるかもだけど
大衆と交信するというのは
破綻してるきがする。


本当にもしもそれが成立しようがあるならそのマスコミュニケーションにも真のやりがいはあるのかもしれない
でもどんだけ出来てもそれは
個人の自分勝手な人生の自己充足を履き違えてるだけな気もする


真に人の役に立つ
医のアートと対等に勝負するくらいの
次元で考えたなら
なにか人の役に立っているという実感がほしい
アートという仕事はエゴなのか?
自分のことばかりのアーティストが
そうすぎて反転して医療以上に世界の役に立てることがあるのだろうか。

そういう反転の仕方

 

会田誠が昔書いていた

阪神大震災のときに、油画のアトリエの同室の人が

「俺たちこんなことしてていいのかな〜って気持ちになるよなー」

という言葉に

会田誠が思ったのは

『そんなことはとっくに織り込み済みだ

なにをいまさら。

さっさと手をうごかすべきだ』

 

芸術の役割
西洋社会の中でのポジション
歴史でどうプロットされていったか
世界への役に立ち方は

日本よりもっともっと明確にありそう。
それは確立され語られているにきまってるのに
ぼんやりとはわかるけど、いまだにちゃんと整理してない。
自分のなかで完全に見えるようにしたい。
芸術の役割をあえて、そとからの目で、わざと短絡的にとらえて、

文学、科学、音楽、体育、とかそういう分野として美術というか芸術が分類されて

継続されてきた意味を、すごく短絡的にとらえなおしたい。
自分が作ることが人の役に立つめに。